コミュニケーションについての雑感⑨ ただの我が侭である「空気をよめ!」
今の世の中って「周囲への気配り」が細やかにできる人、優しい人が、どんどん心を病んでいってしまう悲劇的な時代です。

その大きな原因の一つが

「空気を読め!」=「俺の気持ちを読め」=「俺のやってほしい通りのことをしろ!」

という、超個人的な要求になっていることにあると考えています



相手や周囲をすべて自分の思い通りにコントロールしたい、というのが本音の「空気を読めよ!」
「KY」が流行したころにもありましたが「空気をよめ」というのが、その場にいるみんなにとってよりよい場所になるため、ではない使い方。
これはズレていますよね。

満足するのは、「空気を読め」を押し付けている当人だけ。
その場全体の雰囲気をさしていたから「空気」にたとえているのが、ある特定の人間の願望だけを読つというのは空気を読むことではありません。

なのに言われた方は誠実なタイプであればあるほど、「自分が至らずに非難されている」「それが分からない自分はコミュ障だ」と自分を責めてしまう。
また相手の要望が感じとれたら感じ取れたで、それは 自分をふくめたみんなが楽しくすごせるという本来のことからずれているから、相手の要望・・・はっきりいえば「我が侭」・・・をきくから、どんどんストレスがたまるばかり。


この前ふれた「心がすべてわかる」云々のことで、「ちゃんと人の気持ちがよみとれるようにならなけりゃダメだよ」と相手に忠告する場合もそうですね。
本当に相手の社会生活のために助言しているならまだマシですが、本音は「俺の気持ちを100%読み取って、その通り動け」というものだったら、とんでもないことです。



そんなことをしている人間は周囲から良くなんて思われるわけないんですよね。
でも無理を強いた側は「やったもん勝ち」「俺はみんなをコントロールするのがうまい」とうぬぼれることさえあります。

いざという時になって、自分が本当は独りだったことに気が付いても、時すでに遅しかもです。

昨日も書いたような本来の意味での「空気を読む」というのはどの時代になっても大切なことです。
ただ、その善意を悪用しようとしている場合があまりにも増えているので、自衛の意識は持たないと身がもちません。

でも誠実に生きてきたほど、それが難しいのも事実なんですよね。相手に不誠実な態度をとる自分を責めてしまいがちだから。

ただ、本当にその我が侭な要求に振り回されてしまって、本当の意味でみんなと楽しく場を作っていく気力が侵害されているようであれば、本当に善意のみなさんを守るためにも、身勝手な人とは距離をおく決意も必要だと思います。